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旧大須賀家住宅 in 加曽利貝塚公園 [歴史散歩]

旧大須賀家住宅-01.jpg
オリジナルの藁葺き屋根は、その姿はなく金属板で覆われてる

藁葺きの職人がいないことと葺き替えには莫大な経費がかかるという
ことによるようだが、こうして見ると金属製の屋根だけが浮いている


旧大須賀家住宅 in 加曽利貝塚公園

 

 出かけるには、とても良い季節が巡ってきた。出かけるたびに撮影写真のストックは多くなったが、そっちの方に一所懸命で、ブログの更新がおろそかになってしまった。

 

加曽利貝塚公園の博物館のさらに奥、足元が小砂利で坂を下って行かないといけないため、ここまで来る人は多くはない。

縄文時代に集落があったとの証としての貝塚だというのに、ちょっと場違いとも思える江戸期の大きな屋敷がある。

 

住宅前の説明板を見ると、

<旧大須賀家住宅

元幕張町にあった大須賀家の住宅。昭和43年千葉氏に寄贈され、民俗資料として保存のため、ここに移築した。

江戸時代、幕張町は天領に属し、北町奉行配下にあり、大須賀家はその代官所にあてられ、俗称「北の代官所」と呼ばれていたという。

この屋敷は、寛保〜寛延年間(1741〜1750)の建造と思われ、一部に近年の改造の跡が見られる。奥の間は比較的よく旧態を残し、武家風の書院造で、床の間や違棚などに、その特徴が見られる。

千葉私立加曽利貝塚博物館>

 

幕張町からの移築って、幕張町のどこにあったのか調べて見ると、意外に簡単に見つかった。

子守神社神社の秋の例祭で神輿が行き来するところの幕張町3丁目公園が跡地だという。

意外なところにあった。

 

公園に石碑があって確かに大須賀家住宅跡地だと確認できた。

 

二つの情報が繋がった。

気にかかっていたものが得心できてよかった。

 



 

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ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA その3 [歴史散歩]

ペリーが歩いた横浜_キリン公園-28.jpg
キリン公園の石碑「麒麟麦酒開源記念碑」
キリン公園って言うのもすごい命名だが、ここはペリーの時代以降のものなので、サービスといったところか
ところで、横浜はなんとか発祥の地となっているところがすごく多い
海外の情報、文化、技術が非常に大切だと言うことだろうか

こんな日にこの場所で冷えたビールでも飲みたい雰囲気だが、
まだ先があるので我慢


ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA  主催:NPO法人神奈川歴遊クラブ

 

  前記事に続き、ペリーが休日の1日を横浜の村と日本人を知るために歩いたとされる足跡を訪ねた。

 

前記事の元町公園の木立の日陰はありがたかったが、山坂で汗をかいたのでプラスマイナスゼロってところ。

山手の高級住宅地らしき坂道を下っていく。

T字路の突き当りが小学校。小学校の前を行くと左側に小さな公園。

公園の名がキリン公園だって。

 

もと来た道を戻りながら歩いていると英語が聞こえてくる。

外国人などが多い学校なのか。

さすが、横浜らしいねと変なところで感心させられた。

 

あえて英会話教室なんかに通わなくても、小さい時期からこうした環境にいれば英語も不自由なく話せるんだろか。

もっとも考え自己を主張し相手に伝えることの技術がないと無意味だけどね。。。

 

日米和親条約の交渉の時に日本側に日本人の通訳がいると言う話があったことを思い出した。

当時はオランダ語が外国語の主流であったので、通訳は英語<ー>オランダ語(米側)<ー>オランダ語(日本側)<ー>日本語 だったようだ。

 

観光地となっている横浜外国人墓地を見て、貝殻坂を下って行くと外国人墓地として最初に作られたエリアがある。

ここにペリーの部下などが葬られていると言う説明があったが、塀の外から覗いても見ることができないようだ。

ここからしばらく歩くと、今回の最終目的地 代官坂。

ペリーはここの代官屋敷で休憩して多分な接待と受けたと言う。

昔の日本人の寛容さが伝わってくる。

 

暑い中での小旅行で非常に興味深いお話を交えながらの主催者、関係者の方々には感謝申し上げます。

友人の歩数計で15.000以上だったようで久しぶりの徒歩による運動と言える運動だった。

 

 

コース

1)日米和親条約締結地

2)海辺通り(元浜町通り)

3)洲干弁天社(神奈川県立歴史博物館付近)

4)太田屋新田(太田屋通り)

5)横浜新田(中華街)

6)元町公園・貝殻坂

7)東漸寺跡(北方小学校)

8)麒麟麦酒開源記念碑

9)横浜外国人墓地

10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地辺り)

11)増徳院跡

12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)

 

コースの順は各班との兼ね合いから1)から順番とはなっていなかった。

このシリーズは今回をもって終わります。

 


 

 

 

   


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ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA その2 [歴史散歩]

ペリーが歩いた横浜_日米和親条約締結の碑-13.jpg
以前に通りかかった大桟橋方面への道に面した「開港広場」はリニューアル工事中
外から覗くと地球儀を模した日米和親条約締結を記念した碑があった



ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA  主催:NPO法人神奈川歴遊クラブ

 

  前記事に続き、ペリーが休日の1日を横浜の村と日本人を知るために歩いたとされる足跡を訪ねた。

 

日米和親条約地から歩き進んで、変則的4差路にでる。左側には以前オーシャンドリーム号の体験乗船の時にきた大桟橋が見える。

街路樹が茂っていてとても綺麗なとことだ。

 

その角に現在は工事中だが、開港広場という公園がある。

工事中のため中には入れないが、外からは地球儀を模した石碑を見ることができる。

そこにほど近い場所に、横浜開港資料館がある。

入館すると正面に樹木がそびえている。これが、日米和親条約締結地の図で右側に描かれていた鳥居と神社の祠、その横にある木立そのものだという。

 

関東大震災で幹の一部が焼けてしまったが、現在も緑を茂らしている玉楠(タブノキ)

 

この横浜開港資料館で小休止(ここまで結構疲れた)

 

横浜中華街をかすって、美味しそうな匂いの誘惑に負けることなく、元町を抜けて元町公園までの道のりです。

この工程は山坂が多く、明らかな運動不測のおいらは息を切らしてついていくのが大変だった。

 

コース

1)日米和親条約締結地

2)海辺通り(元浜町通り)

3)洲干弁天社(神奈川県立歴史博物館付近)

4)太田屋新田(太田屋通り)

5)横浜新田(中華街)

6)元町公園・貝殻坂

7)東漸寺跡(北方小学校)

8)麒麟麦酒開源記念碑

9)横浜外国人墓地

10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地辺り)

11)増徳院跡

12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)

 

コースの順は各班との兼ね合いから1)から順番とはなっていなかった。

実際に巡った順番に何回かに分けて記事にしていきます。

 


 

 

 

   


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ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA その1 [歴史散歩]

ペリーが歩いた横浜_桜木町駅-01.jpg


ペリーが歩いた横浜・YOKOHAMA  主催:NPO法人神奈川歴遊クラブ

 

   友人から彼の知人が所属するNPO法人が主催する歴史散歩の会があると紹介された。

興味があったのと、ここ最近の天候不順で主に散歩でしか運動というものをしなかったことで、明らかな運動不足であるだろうとの反省から、友人からのありがたい紹介を受けて出かけることにして申し込んだ。

もちろん、紹介された友人共々。

 

ペリーの名はもちろん知ってはいたが、その名で思い出す地は下田かな。

下田は日米和親条約によって開港した五港の一つで、日米和親条約が締結された地が横浜だということがわかった。

 

 

西欧列強は産業革命によって大量生産の手段を得たことで、素材を得て、加工品を輸出する交易を求めて、東アジアに進出しようとした。

当時の日本は海外との交易を禁止する鎖国政策をとっていたため、また英国の清国の植民地化などを見聞きしていることから容易に開国することはできなかった。

ヨーロッパの列強に比べると米国は大国ではあったが、戦火の実績もなく交渉しやすいと判断されたようだ。

 

 

それで、1854(嘉永7)年3月、4回の会談を経て日米和親条約が締結された。

この地が実に横浜だったのだ。

 

 

<条約締結後の4月6日、つかの間の休日を得て、ペリーは12名の部下とともに横浜村周辺を散策。

最後に訪れた名主の石川徳右衛門宅では家族の温かい接待を受け、村人とも交流して帰船しました。

4日後、品川沖まで船を進め、江戸の町を遠望。

4月18日、条約で開港されることになった下田と箱館を視察するために江戸湾を後にしました。

 

ペリーは日本人との交流を通して、当初は文明社会と半野蛮人との交渉と考え、軍事力を背景にした交渉をしましたが、次第に日本は将来、技術的な分野では先進諸国のライバルになるだろうと予言するようになったという。>

(NPO法人 神奈川歴遊クラブ 資料より抜粋)

 

 

 

この1854年4月6日の休日のペリーの足跡を辿るという。

 

JR根岸線・京浜東北線 根岸駅9:30集合

この秋は天候不順で雨の心配をしていたが、午前中はどんよりした重い雲に覆われていたが、いつしか青空に変わって、夏に逆戻りしたような暑い日となった。

 

多数の参加希望者がいて、何班かに分かれてコースをめぐる。

 

横浜は観光地としても人気のスポットだが、歴史的なスポットも数多くあって、それぞれに楽しめる大変よい場所だと再認識した。

 

コース

1)日米和親条約締結地

2)海辺通り(元浜町通り)

3)洲干弁天社(神奈川県立歴史博物館付近)

4)太田屋新田(太田屋通り)

5)横浜新田(中華街)

6)元町公園・貝殻坂

7)東漸寺跡(北方小学校)

8)麒麟麦酒開源記念碑

9)横浜外国人墓地

10)外国人墓地22区(海兵隊員ウィリアムズの埋葬地辺り)

11)増徳院跡

12)石川徳右衛門居宅(代官屋敷)

 

コースの順は各班との兼ね合いから1)から順番とはなっていなかった。

実際に巡った順番に何回かに分けて記事にしていきます。

 

今回はこれで終わり、次回以降に続きます。

 

 

 

   


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長柄横穴群(国指定史跡) [歴史散歩]

長柄横穴群資料館-17.jpg


長柄横穴群(ながらよこあなぐん)[千葉県長生郡長柄町]

 

   ときどき、「道の駅ながら」なんかに行くことがあって、この横穴群の存在は道の駅建物内の壁に写真が貼ってあったので知っていたが、興味はあったものの行く機会がなかった。

何かの折、近くまで来たので寄ってみようと思ったのが夕方近く。

 

田畑のあぜ道のような狭い道をクネクネ行くと開けた場所に冒頭の資料館(グレーの建物)が見えた。

実はこの写真はGoogleMapのストリートビューから拝借したものだ。

夕方近くて、暗くならないうちに横穴群を見たかったので、急いでいたので資料館の写真を撮り忘れていたんだ。

 

この地に行った後で驚いたのは、このストリートビューが車のすれ違いも不自由するような狭い道まで入り込んで見ることができたことだ。

 

 

ここからは「史跡長柄横穴群」(長柄町教育委員会)の資料から抜粋

【概要】

横穴墓は、500〜700年の古墳時代中期から後期にかけて九州から東北地方南部までつくられていた。

史跡長柄横穴群は、南北に広がる谷の東側丘陵と西側丘陵の東斜面にある。横穴墓は全て「高壇式(こうだんしき)」と呼ばれる玄室(げんしつ)が一段高くなる形態である。

横穴墓は、丘陵地の斜面に横に穴を掘ってお墓としたことから(よこあなぼ)と呼ばれている。

また、横穴墓は数基がまとまって分布し、横穴墓1基には、複数の遺体た安置されている。


【保存整備】

長柄町では国および県からの補助から平成8年度に考古学などの専門委員を委託し、保存整備の基本方針を計画。

平成22年度から史跡長柄横穴群資料館が開館しています。

 

 

資料館から背面の丘をたどる小道を行くと、横穴墓が次々と現れる。

それぞれに解説の表示板が立っているが、長時間風雨にさらされたか、判読しにくいものが多かったのが、ちょっと残念。

横穴墓の玄室を覗き込むことができるもの、完全に封鎖されて見ることができないものもある。

 

不思議な雰囲気の中に身を置くのもいいかもと思った。

 

 

 

 

 

 

   


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七福神巡りに行ってきた 「佐倉七福神」 [歴史散歩]

佐倉七福神巡りmap.jpg



七福神巡りに行ってきた 「佐倉七福神」

   年初に銀座で七福神巡りを実行できなかったので、なんとなく気持ちがすっきりしない正月を過ごしていた。このところ何年か習慣化してきた七福神巡りを絶やすまいと、佐倉七福神巡りに出かけてみた。

 

佐倉は時代まつりで何回か訪れた地なので、少しは土地勘もあると思っていたが、改めて歩いてみると意外に坂が多いのに気づかされた。

 

当日は好天に恵まれ、冬とは思えないような陽気だったので、コートを着ていると暑いぐらいだ。

 

冒頭に地図で(1)から(7)までがイラストとともに掲載されているが、都合の良い(6)の麻賀多神社からスタートを切った。

 

地図を入手したことで、大きく迷うことなく回ることができました。

おまけに「おはやし館」で係りの人に勧められた「旧堀田邸」まで見ることができ、すっきりした気持ちで一年を送れそうな気持ちになりました。

 


   


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市川考古博物館に行ってみた [歴史散歩]

市川考古博物館_案内-01.jpg


市川考古博物館へ行ってみた

  ことのきっかけは、加曽利貝塚土器づくり同好会にて、おいらとしての2作目として制作(?)した土器(小形鉢形土器)関山Ⅰ式  高谷津遺跡 を見様見真似、無に等しい知識で制作したが、<過去記事はこちらから> 縄文の付け方が「違うんじゃない」とある方からご指摘いただいて、改めて資料の写真をみると、なるほどオリジナルの写真と見比べるとちょっと違う。
違うが、どうすると再現できるかは分かるはずもなく、お手上げ。


オリジナルの土器が市川考古博物館所蔵とあるので実物を見ないことには、はじまらんだろうということで出かけてみた。


初めて行くところは予想以上に遠く感じる。
道は狭いし交通量は多いし、何度か道を間違えてやっとたどり着いた。

博物館内の写真撮影は届け出が必要で、しかも写真の公開(ブログなど)は許されていないらしい。
ということで、写真は撮れたが公開はできません。

写真なしで館内の様子を文字で伝えるほど、文才もないので、ここは「すみません」。
館内は時代やテーマごとに小部屋になっているので、初心者で楽しめて、見やすい。


手短に館内をぐるっと廻ったが、お目当ての土器はなかった。
あらまっ、目的未達で帰るしかないか。


通りかかった、関係者の方にどこかに展示されているのか聞いたところ、土器の担当の方を呼んできてくれた。
今は展示していませんという絶望的回答をいただき、諦めかけたとき、「ちょっと、収蔵庫を見てくる」とおっしゃってくれた。

「このような場合は、事前に連絡してくれないと、お見せするこはできません」
ということでしたが、例外的に見せていただけることになりました。


加曽利貝塚土器づくり同好会のメンバーの方から、
この縄文模様は縄文原体(じょうもんげんたい)の作り方に依存している。というか縄文土器を見て、それと同じ模様を得ようとしたら、それと同じ縄文を分析して同じように原体から作らないといけない。

もちろん、おいらにはそんな力量はない。
この縄文を施文するものを縄文原体(じょうもんげんたい)というらしいことをやっと覚えた。

この縄文原体を作る方法や材料の採取の方法など一通り教えていただいたが、難し過ぎてコツがつかめない。

いつの日かもうちょっとマシな土器を作りたいっていうきっかけになったかも。


    

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タグ:博物館
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ちょい寄り 上野東照宮 [歴史散歩]

上野東照宮参道-01.jpg


ちょい寄り  上野東照宮

  上野国立科学博物館がリニューアルオープンした。  この夏休みのタイミングということからテレビなんかで子ども向けの科学に馴染む施設やイベントが開催されているというニュースなどで報じられていた。

案の定、上野駅からの行く道にも、明かにそうだという親子連れがたくさん。
館内は凄い混雑だった。
子どもたちがこういうことに興味を持ってくれることには、賛成だけどたいへんだった。

帰りに上野公園内を散策して、上野東照宮にたどり着いた。
前回来たときは、修復工事中で唐門などの写真をあしらった工事用養生シートに覆われていた。

しっとりとした参道をゆっくり進んでいくと、金色に輝く唐門があった。
この煌びやかさはビックリした。
こちらもリニューアルオープンだ。

寺社の建造物は時間の経過とともに、色彩が劣化しながら自然の環境に溶け込むような存在となっていることが多いが、建造当時はビックリするほど煌びやかだ。

唐門、本殿も修復工事(2009年から約5年間)が完了したので、日光東照宮にも引けをとらないような煌びやかな存在になった。



    


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タグ:名所旧跡
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千葉公園内にあった鉄道第一連隊演習所名残り [歴史散歩]

鉄道第一連隊演習所名残-00.jpg
 
 
 鉄道第一連隊演習所名残り
 
大賀ハスを観るため訪れた千葉公園。
JR千葉駅から徒歩でいくと、南門からの入園になる。入るとすぐに通路の右側に上記の説明板が現れる。
実は昨年の同じ時期に同じコースで訪れたので、この説明板の存在は知っていたが、じっくり読む余裕がなかったんだ。せっかく朝早めに到着したのにハス池に直行ということで。
 
 
この説明板には次のように記されていた
 
<鉄道第一連隊演習所跡
Remains of Maneuvering Ground for Railroad No.1
旧陸軍鉄道連隊が明治41年(1908)、旧千葉町都賀村(現椿森)と津田沼町に設置され、大正7年(1918)の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に第二連隊が設置された。
鉄道第一連隊演習所は、現在の千葉公園の綿打池付近から競輪場一帯で、池の対岸に架橋演習に使用したコンクリート製の橋脚や、ここから北西約150mのところにトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームがあり、昔日の面影を残している。

The remains extend throughout the present Chiba Park.
Still remaining in the Park are the concrete bridge piers used for bridge-building exercises and the concrete dome used for tunnel excavation exercises.

平成2年3月
千葉市教育委員会>
 
 
 
また、千葉市のサイトの「千葉公園のあらまし」では。次のように説明されています。
 

<明治41年(1908年)、旧陸軍はここに鉄道連隊を設けました。

その後、大正7年10月(1918年)、津田沼に鉄道第二連隊ができるとともに名称が鉄道第一連隊と変わりました。

鉄道第一連隊の兵士たちは、この辺一帯の演習作業場で、鉄道の保守、新設、修理をはじめ、敵地での鉄道の破壊訓練を行っていました。

現在でもその名残りとして公園事務所脇のコンクリート造りトンネルや荒木山周囲に橋脚などがあり、当時の面影を伝えています。


終戦後の混乱期には、園内にある樹木のほとんどは切り倒されて燃料になってしまったり、敷地の一部は食糧難を補うための菜園にされたりしたそうです。
 
その後、市民の憩いの場、県都にふさわしい公園とするため、昭和21(1946)年6月に千葉戦災復興都市計画に基づき本市初の総合公園として整備することが決定されました。
 
昭和24年(1949年)から公園整備にとりかかり、順次、施設を整えてきた結果、昭和40年頃ほぼ現在の形になりました。>
 
 
それで、観蓮のあとで名残りとやらを見て回った。
 

   

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半日 船橋にどっぷり浸かってきた [歴史散歩]

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徳川家康400回忌<今よみがえるその足あと!>
 
 以前、船橋漁港の水神祭でのこと、祭りの後でスズキの唐揚げを食べているとき、チラシを配っている人がいてこのようなチラシを手にした。
風が強いし、寒いしでポケットに仕舞い込んだ。
あとで見返してみると興味深いと思い電話にて申し込んだ。
 
 
 
2015_0418-0001-0.jpg
 
 
 今年は徳川家康が亡くなって400年という切れ目の年だということで、家康に名残のある各地ではいろいろなイベントが計画されていることだろうが、船橋のこの地は先駆けて、このようなイベントを計画したということだ。
 
船橋と家康との関係は「あっと」思い出せる人は少ないと思う。おいらもそのことにピンとこない。
船橋漁民とのつながりや千葉県の東金方面への鷹狩りの道すがらでの宿泊地などと意外に関係しているということを理解できた。
 
市民団体「ふなばし街歩きネットワーク」の主催で、ボランティアの事前準備や知識のお陰で、ひとりでぶらっとしては分からないことや各ポイントのつながり、時間的関係など、また深い知識が入ることでさらに面白くなってきた。
 
このようなイベントはときどき計画されるようだが、船橋住民ではないので、情報入手が困難なのが残念だ。
 
 
 まずは4月18日の10時に京成線の船橋駅に集合して、「船橋御殿跡と東照宮」−>「船橋宿」−>「海老川橋(船橋地名発祥の地)」−>「船橋大神宮=意富比神社(おおひじんじゃ)」−>「船橋漁港(御菜浦)」−>「不動院」
と徒歩で巡り 12:30現地散会
 
 

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上総国分尼寺(法花寺)跡とその周辺に出かけて見た [歴史散歩]

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 上総国分尼寺(法花寺)跡とその周辺に出かけて見た
 
 以前に行ったことがあったが、春の陽気に誘われてもう一度じっくりと見たくて出かけてみた。
千葉県市原市国分寺台中央3-5-2 にある「史跡 上総国分尼寺跡展示館」と、上総国分尼寺(法花寺)の史跡の一部と当時の建造物の一部「中門」「回廊」などを復元したものだ。
当時と同じ位置に同じような工法をもって復元された中門と回廊は素晴らしいが金堂が復元予定も含めてないのがちょっと残念だ。
 
市原市市役所を挟んで反対側に「上総国分僧寺跡」も含めて2箇所を見て回った。
 

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タグ:歴史散歩
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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第3日目 [歴史散歩]

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 「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第3日目
 
昨夜は暗くなってから遅い時間にホテル(北九州八幡 ロイヤルホテル)に入ったので、周りの様子はわからなかった。早朝に窓から覗くと、なにやら遊園地のようなものが見えた。
これが後に「スペースワールド」テーマパークであるとわかった。
そう言えば「スペースシャトル」みたいなモノがみえる。
 
「あのスペースシャトルは原寸大であろうか」という議論がしばらく続いた。
やや小さいというのが私たちの結論だが、真相はどうなんだろうか。
 
例によって、早朝の温泉を堪能して、食事。
今日の出発は7時半とやや早い。しかもガイドさんの話ではロイヤルホテルはどこでも共通してエレベーターがなかなか来ないということで評判なので、早めに集合場所に来て欲しいということ。
 
3日目の行程は以下のよう
バス   〜 <関門橋> 〜宮島 厳島神社
宮島 党内の「だいこん屋」にて昼食 (OPT)
バス   〜岩国・錦帯橋 (渡橋料金 OPT ¥300)
バス   〜岩国錦帯橋空港
ANA636  岩国錦帯橋空港〜羽田空港
 

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第2日目その2 [歴史散歩]

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第2日目 その2


このツアーでメインになると思われる2日目の続き

関門トンネルを想像以上の短時間で向けると、九州に上陸。
下関と門司がこれほど近接しているとは知りませんでした。
門司は山口県と違って賑やかだった。
異なる国に入国したようだ。

まずは物産店「村田蒲鉾・門司店」へ。駐車場に入っても降車することなく、店の人からお買い得品の説明のために車内で説明があった。
これって目玉商品を見つける必要がないので、顧客にとっては時間を節約できるし、店にとっては売り上げ向上につながるお土産を考えている人にとってはいいシステムだ。
試食もたくさんあって、多くの人が手に手にレジ袋をたくさん持ってバスに帰ってきた。
さすがだね。
この店の本店は山口県にあるらしい。

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第2日目その1 [歴史散歩]

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第2日目 その1
 
この盛りだくさんツアーでのメインは恐らく2日目にあるのではないだろうか。
大河ドラマで放映中の舞台となった地だと言うことだ。
さぞかし、いも洗い状態の観光客だろうと事前に覚悟していたが、意に反して空いているではないか、「こんなんでいいの? 」という印象だ。
もし、ドラマの放映がなかったらどういう状態なのだろうか。
 
ここ以外にもいろいろな地を訪れたが、みな似たような印象だ。
中国人ほかの外国人観光客を頼みにしないと成り立たないのかな。
 
2日目の行程は以下のようになっています。
バス   7:40 萩温泉郷 萩焼の宿 千春楽 発
バス   〜物産店 萩焼会館
バス   〜萩・武家屋敷散策
バス   〜松陰神社・松下村塾
バス   〜秋吉台(バスから見物)
バス   〜秋芳町・秋芳洞(見学はOPT ¥1200)
バス   〜海鮮村北長門にて昼食 (OPT)
バス   〜角島
バス   〜<関門海峡 トンネル走行>
 
ここからは「その2」で紹介
バス  〜物産店 村田蒲鉾 門司店
バス   〜門司港レトロ地区 自由散策   (遊覧船 OPT ¥1500)
バス   〜シートレビアン「海鮮バーベキューと焼き肉」 夕食
バス   〜北九州・八幡 ロイヤルホテル泊
 

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第1日目 [歴史散歩]

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「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」ツアー第1日目


 普段はもっぱら近場の小旅行に終始しているが、たまにはいいんじゃない?っていうことで「大感謝祭」っていう好きな文言もついたツアーを申し込んだ。(と言っても人任せにしてしまったんですけどね)

 一番の心配は寒さ対策。寒さには弱いんだ。寒いところに好んでいくほど勇気がないんで。
次に雨。せっかくの旅行なので、その感激を忘れないように、写真に記録しないと。でも雨降ってしまったら、写真撮影も限られちゃうし。
ツアーっていうとこういう点が心配。

「萩・津和野・安芸の宮島・角島・門司港レトロ大感謝祭の3日間」は「阪急交通社」の商品。
2泊3日でとんでもなく盛りだくさんのツアーだ。

先ずは1日目(今後何回かに分けて記事にしていきます)


行程は以下のようになっています

羽田空港 11:00 〜 ANA575便 〜 12:45 萩・石見空港 (島根県益田市)
バス 〜津和野到着 (散策)
バス 〜萩到着 (萩武家屋敷散策)
バス 〜萩温泉郷着
※昼食は自己調達

 

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日本橋 七福神巡り で新年を迎えられます [歴史散歩]

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 日本橋 七福神巡り で新年を迎えられます
 
 ここ最近は新年だからといっても、それらしいことはしていなかったので、節目だということで新年らしく七福神巡りに出かけることになった。
(2015年1月4日)
 
じつはいままで何カ所かの七福神を廻ってきたが、今回はほかにも目的を絡めて、日本橋の七福神を参拝することにした。
 
この 「日本橋 七福神めぐり」と イベントは地図に印刷されているものを見ると第三十回とある。
ずいぶんと前からの歴史あるイベントだったんだ。
 
 冒頭の地図が七福神巡りの地図  情報によれば1時間半ほどで廻れるコースらしいが、参拝者の行列でお参りしながらだと、待機時間の方が長くなる。
今回の所要時間は約5時間。
 
 今回は丁寧にお参りしたので、今年はきっといい年になるだろうと期待している。(自分勝手だね)
 

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