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子供の頃の体験 縄文土器 [雑感]

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子供の頃の体験 縄文土器

 

   半世紀以上にもなるあまりに昔のことで、記憶も薄れ、現実と想像との境界も曖昧になってきた。

おいらが、加曽利貝塚に行った折に見かけた土器を作る集団を見かけた時に、心を惹きつけられたのは、この当時の体験が大きな要因になっていると思っているんだろうと疑わない。

 

 

 

  小学校の高学年になった頃だろうか、その頃は地元の小学校ではなくて、越境編入して3年生から電車通学していたので、いわゆる地元の幼友達っていうのも少なかったと思う、と言っても下校してからの遊び場は地元の大泉学園(西武池袋線)の周辺になる。

 

休みの日はちょっと遠出して自転車を駆って白子川。

急な坂を転がり降りると、白子川にかかる橋があって、そこから下流に土手沿いに行くと、右側に東映大泉撮影所が見えてくる。

さらにちょっと行くと丘があって雑木林があった。

 

この雑木林は豊かな自然の富をおいら達に惜しむことなく与えてくれた。

時には自然の恵みでない畑のサツマイモなどもちょっと失敬して生でかじったりした。

 

春の記憶はないが、夏はカブトムシ、クワガタ、セミなどを両手て持てないほど採れた。秋は山栗などをとって渋皮をとって生で頬張ったっけ。

冬は、爆弾が落ちたと言われるすり鉢状の南斜面に寝転がると、背中の砂が暖かい、そんな心癒される空間もあった。

こんな「子供の楽園」も幼友達を中心に代々情報伝承されたきたんだろう。

しかし、伝承もおいらの世代を最後に次の世代に伝える必要がなくなった。

宅地開発が入ってたくさんの宅地ができた。

 

 

 

 

 

 

 

   


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芸術の秋でもないけれど [加曽利貝塚]

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土砂降りの雨の日の加曽利貝塚公園 旧大須賀家住宅


芸術の秋でもないけれど

 

   台風のラッシュで急に秋らしい気温になったが、一向に青空にはお目にかかれない。

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、行楽の秋と秋にはやるべきことも多いと言うのに、「どうしてくれるんだこの天候不順を」と言うことではないけれど、とりあえずは屋内でもできる縄文土器作りに励んでいる。

(芸術の秋ってことでもないけど)

 

ここ加曽利貝塚土器づくり同好会では、土器づくりの最後の工程「焼成」は野焼きだ。

雨が降ったり、風が強かったりすると、土器を焼くことができない。

 

来年の2月には千葉市生涯学習センターで同好会の作品展が開催される。

前回はお見せできるような手持ちがなかったことで出品は断念。

今回はせいぜい縄文人になりきって頑張って皆様にお見せできるようなものを作らなくっちゃ。

 

次ページは9月の加曽利貝塚公園の様子を羅列

 

 

 

 

 

 

 

   


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火縄銃演武 [観光情報]

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火縄銃演武 in 千葉市立郷土博物館

 

   いやぁ、その日(8月21日)はまさに夏にふさわしい暑い日だった。

夏のギラギラの太陽光が降り注ぐ広場での演武で、高速シャッターが可能で、射手の指使いを見てからシャッターを切ろうなどと算段していた。

最近のカメラは起動のスピードもシャッタータイムラグもひたすら短時間化してきている。

だからいい被写体かななどとタカをくくっていたんだ。

 

 

今年が千葉開府890年の記念すべき年にあたるそうだ。

890年ってちょっと半端な年になぜ?は突っ込みは無しにして、区切りの年だ。

 

この開祖の人物が千葉氏ということで、千葉宗家がもっとも厚く信仰した寺で、江戸時代には妙見寺と称され、明治時代の神仏分離令によって千葉神社と改称されたこの神社で、記念の年に例祭「妙見大祭(みょうけんたいさい)」が8月16日、22日の両日行われるということで、楽しみにしていたところ、結果的に両日とも台風の影響(大雨)で行くことを断念した。

 

いろいろ妙見大祭を調べているうちに、この「火縄銃演武」という行事があることを知った。

この行事は千葉市が主宰する「親子三代夏祭り」の行事の一つで毎年行われているという。

 

 

話を戻して、千葉城と言われるお城を模した千葉市立郷土博物館の広場で山伏の法螺貝の音を合図にいよいよ開始された。

11時に開催され30分間のものだ。

その後、千葉中央公園へ移動して午後1時からも簡略化した演武をすると言っていた。

 

 

発砲音はびっくりするほどの大音響で、意図的にシャッターを切ったというよりびっくりして硬直して指が動いたという感じ。

もちろん半端なシャッタースピードじゃブレちゃうことだろう。

写真だから音はとれないが、その煙で想像してもらおう。

目では確認できなかったが、銃口から火花も出ていた。

音になれたことには再度山伏が登場して演武が終了した。

 

その後に銃に触れたり、近寄ってじっくり銃を眺める機会が与えられた。

鉄製の分厚い銃身のため、物凄く重いらしい。

素晴らしい体験ができた。

 

 

 

 

 

   


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続けて船内見学「氷川丸」 [観光情報]

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続けて 船内見学 「氷川丸」

 

   オーシャンボリーム号の船内見学を終えて、横浜中華街へ繰り出して激安の中華定食。

とても暑くて、中華街を散策していると人熱で倒れそう。

 

山下公園で海を見ようかって。。

 

いつも見慣れた氷川丸。

先ほどまで船内見学をしていたので、いつもとは違うように見える。

そういえば、幼児期に乗り物って絵本には、身近な自動車のほかに飛行機や旅客船もあったっけ。

旅客船は決まってというかモデルとなる船が決まっていたのか、船体が黒と白と赤で無理分けられ、それは絵本の中でも十分に眩しいほど美しかった。

氷川丸。よく見ると昔の絵本で大海原を波を切って憧れの外国航路を行く旅客船そのものじゃないか。

今は大海原を行くって環境にはないけど。

 

まさかこの船も船内見学ができるとは。

 

その前に山下公園を一巡。

 

例によってシニア料金でチケットを購入しいよいよ乗船。

これが、午前中に見たオーシャンドリーム号とはちょっと違って、すごくゴージャスではないか。

 

 

 

氷川丸のデータ(乗船券購入時に入手のリーフレットから)

 

重要文化財 日本郵船 氷川丸(海に浮かぶ文化遺産)

竣工:1930年(昭和5)

全長:163.3m

船幅:20.12m

総トン数:11,622トン

最高速力:18.38ノット

船客定員:286名



波乱万丈の氷川丸の歴史

氷川丸は1930年にシアトル航路用に建造された貨客線です。

1920年頃より、欧米が投入した大型船に対抗して、日本も優秀船を建造しようとの声が一気に高まり、当時の最新鋭の船として竣工しました。

戦時中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は貨客線に戻り1953年にシアトル航路に復帰。

船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、大変活躍しました。

1960年に引退した後、1961年より山下公園の前に係留保存され長年にわたり多くの人々に親しまれてきました。

2006年に閉館して改装を行い、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。

戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産として高く評価され、2016年に重要文化財に指定されました。

 

 

 

 

 

   


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